永遠の人生を捉えるには…
更新日:6 日前
私は不慮の事故のニュースを見るたびに心が痛み、しばらく心が晴れないでいます。
自分の事だったらまだしも、人に対しては、カルマ解消だから、霊的成長のためだから、摂理だから諦念をもつしかない…という気持ちにはなれず、ただただその事象を見て、辛くなってしまうのです。
けれどもシルバーバーチは、「法則の中に神の意志が託されているのです(シルバーバーチの霊訓2巻P172)」と述べています。
確かに完全完璧の愛と叡智がなければ、法則は機能するわけがなく、無窮の過去から存在している宇宙そのもの自体あるはずはないのです。
私は完全な愛によって、完璧な法則が機能していると絶対的に確信しています。
ですから、法則の働きには、完全な愛である神の「全人類が霊的成長してほしい」という深い思いが託されていないはずはないのです。
しかし、私自身まだ真理が自分の精神構造の一部となりきっていないため、目の前の事象を見て、苦しんでいる方に対して辛くなり、落ち込んでしまうのです。
しかし、この時、ハッとさせられたシルバーバーチの言葉があります。
人生を物的尺度でもって判断し理解し考察しようとするのは愚かです。 小さな一部分にのみ関心を集中し、肝心な大きなものを見落としているからです(シルバーバーチの霊訓2巻P173 )
恥ずかしいことに、真理を学んでいながら、まだ私の見方、捉え方は、愚かだったのです!
なぜなら、シルバーバーチは、永遠の人生を捉えて、物事を考え判断しなさいと教えているにも関わらず、あいかわらず物的尺度で考えてしまっていたからです。
そこで、どうして愚かな考えて至ってしまうのかと考えを巡らした時、「霊界と地上の関係」についての理解の甘さに気づかされたのです。
私は、永遠に生きるということは、絶対的に確信しています。
しかし、「霊界と地上とが水も漏らさぬように区別されているのではありません。(シルバーバーチの霊訓1巻P)」とシルバーバーチが述べているのにも関わらず、別個の世界のように感じていたのです。
これに気づいた時、地上で生きることと霊界で生きることが、やっと一本の線で結ばれような感覚を得たのです!
つまり、大切なことは、「永遠の人生を捉える」とは地上人生、霊界人生を分けず、一本で繋がっていることを腑に落とすことなのです。
私は、地上人生という短い尺度で、辻褄が合うように考えてしまっていました。
それは、足りないピースでジクソーパズルをして、完成できないと憤慨しているようなものです…
けれども、地上人生、霊界人生が1本に繋がったら、地上人生単位で見るのではなくなり、短絡的に判断しなくなります。
地上人生も霊界人生も繋がった自分の人生であり、永遠の中の一部の現象が摂理によって今現れているだけで、全て進化のためなのだと少しずつ思えるようになってきました。
いかに永遠の人生を捉えることの重要性を改めて痛感します。そうすることで、正しい見方、考え方ができるのだと思います。
神の摂理が間違えることがないのですから、あとは自身の理解度だと痛感しました。
一朝一夕には「永遠の人生から捉える」というのは難しいことですが、常に神と霊界に思いを馳せ、霊主となることで、身に付けていきたいと思います。
シルバーバーチの言葉です。
視点をいつも永続性のある価値をもつものに置くことが大切です。(シルバーバーチの霊訓11巻 P51)
物的な側面だけを見つめてはいけません。物的尺度で無限なるものを計ることはできません。 そのことを常に念頭において物事を判断してください。(シルバーバーチの霊訓4巻 P89)
※霊的無知ゆえのなくもがなの悲劇は、真理普及によって救済していかなければなりません。
なぜなら、真理を手にして真理に則った人生を送る人が増えることで、無用な苦しみは減っていくからです。
※真理を知って間もない頃、永遠を理解するために「日常の中のシルバーバーチ」の「地上は、鐘の音と共に消えてしまうシンデレラの世界?」のブログがとても分かりやすく、参考としていました。
また、最新では「永遠の生命が与えられたことこそが、神の究極の愛!!」「続・永遠の生命を与えられたことこそが、神の究極の愛!!」「“永遠から見れば地上人生は微々たるものだ”と実感する重要性!」のブログは、永遠から見ることこそ、苦しみの多い地上人生を乗り越える大いなる助けとなることがわかり、魂が鼓舞されますので、お薦めです。


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